桜や紅葉を愛でたり和歌を詠み楽器を奏でたりして日頃の素養を披露してたみたいですね。
但し場所的には当たり前ですが京都、奈良の方で現在の屋形船の形としては徳川家康の江戸入府以来です。
隅田川流域の開発が進められ、さまざまな物資を運ぶための運河として、江戸の生活を支えてきました。そして同時に豪商や有力大名などが自前の船で盛んに遊覧をするようになります。
船も大型化し競うように作りも豪華になっていきました。時代の流れで浮き沈みはあったみたいですが、浮世絵にもみられるような絢爛豪華、金銀などで装飾を施した屋形船も登場していきます。
但しこのような屋形船は限られた人々のみの遊びでしたので一般の庶民は乗ることが出来ませんでした。
そこで粋な江戸っ子は屋根舟と称する小舟を浮かべ遊覧を楽しみ始めました。普通の小舟に小屋を設け障子ではなく簾を使いそれなりの屋形船に仕上げていきました。
時代劇でよく登場する屋形船は小ぶりですが障子を使っていますので上等な部類ですね。中ではお代官様と商人が向かい合い菓子箱の下に小判を忍ばせ、 (これでよしなに〜) (おぬしも悪よの〜)
少しばかりイメージが悪くなりますが・・・・・
話を戻しますが、このようにして船宿、料理屋が増え一般庶民にも粋で風流な遊びや花火などの娯楽の場所とし人々に愛され親しまれていきました。それが現代に通ずる屋形船として継承されています。
江戸も終わり明治・大正・昭和初期と人々に楽しまれてきましたが太平洋戦争、又戦後の復興期から高度成長期における水質の汚濁、殺風景な河川の護岸工事等々により屋形船そのものが忘れ去られて行きました。
ところが1980年代より少しずつ河川の環境が改善され又バブル景気に乗り屋形船が見直され現在の様にエアコン、水洗トイレ、カラオケ完備の屋形船が登場してきました。
屋形船は平和な時代のバロメーターで争いや、大きな災害が起こると屋形船は存在し得ないと思っています。
これから先少しずつ進化し又その時代に合わせた屋形船に発展していくと思いますが、今後ともこのような少し浮世離れした空間(屋形船)が続くようにと切に願います。